●川尻北の谷摩崖仏 ●川尻殿方庚申塔婆
●川尻北の谷多尊石仏 ●川尻中の谷多尊石仏
●川尻北の谷双体地蔵石仏 ●川尻打越阿弥陀三尊石仏
●川尻北の谷不動明王板碑 ●川尻向井山地蔵石仏
●川尻北の谷大峰供養塔 ●川尻旧池田街道道標
●川尻法輪姫の塔 ●川尻向井山宝篋印塔
●川尻法輪寺宝篋印塔 ●小車利助の碑
●川尻中の谷光明真言板碑
川尻北の谷より中の谷へ向う道路下の杉林の中にある。3平方メートル大の磨崖面の上部に高さ50センチメートルほどの舟型を横に並べて2つ彫り込み、左に不動、右に地蔵の立像を薄肉彫りしています。
高さ1m程の板状の岩に22体の石仏と3基の5輪塔が彫られています。平らな表面を四段に区画し、最上段には定印阿弥陀坐像が左に観音菩薩、右に地蔵菩薩が配置されています。普通は阿弥陀の脇侍は観音、勢至菩薩でありますがこれを地蔵などに変えている所に特色があります又、五輪塔については彫られている間に亡くなられた人だそうです。桃山時代に造られたものであります。
小さな舟形の石に彫られた阿弥陀座像が二体並んで彫ってあり、像は26、5cmの高さで、頂部にはほぞが作ってあるので笠石がのせられていたものと思われます。これは亡くなったかわいい二人の子供を亡くした親が造ったものかそういう思いがこもったものです。
大峰供養塔と呼ばれる宝篋印塔があり相輪上半を失い高さは125cmでここには宝篋印塔陀羅尼経を安置したことが刻んであり、この経を一度続誦すれば過去、現在未来の諸仏のすべての経典を読むのと同じ功徳があるとかかれています。江戸時代に造られた物で特色としては隅が大きく外側に開いた形であります。
これは法輪姫の塔という三基の宝篋印塔です。いずれも寄せ集めた塔で年代もまちまちの物です。中央の塔の基礎ですが、特殊な格狭間の形は全国でも珍しい文様です。また、塔の笠にあります隅飾が弓のように曲がっています。
平安時代に中国から伝わった庚申信仰によりますと、庚申の日の夜眠らずに身を慎めば災難が除かれると言われ、人々は酒や食を共にし物語や遊芸を楽しむ行事を行いました。江戸時代には町では商売繁盛、農村では豊作を願う行事となり庚申講がすすんだ豊作を願い、庚申日にここに参り供え物をしました。
当地に多くある石英閃緑岩の自然石に阿弥陀三尊の立像が上にありその下には地蔵坐像が上より5・6・5体の計16体彫られています。また、これは蓮華座に座っているところから供養者でなく地蔵像と考える説もあります。
この石仏はもともと川尻地区の後ろにある天台山の中腹に石清水にあったのが、この山から見渡せる尼崎の漁師がお地蔵様が光っていわしが取れないというので今のところまで下に降ろしてもらったということです。それ以来地元ではイワシ見ずの観音さんと呼ばれています。