ギャラリー
牧妙見山道標
豊能町、牧の妙見山道標で、「右能勢妙見宮」とあり、京都方面から亀岡・牧を経て妙見山詣りをするための妙見道に建てられた道標です。刻銘によりますと、京都の大西講が建立したもので、明治期のものとおもわれます。
牧梅相院の石塔群
梅相院墓地には、徳本上人名号碑のほかにも、多くの石塔群があります。古いものでは無銘ながら室町時代とみられる宝篋印塔があり、そのほか江戸時代前期から中期にかけての紀年銘を有する石塔がみられます。
牧梅相院の徳本名号碑
本堂隣の墓地正面にあります。花崗岩製で、三段の切石の上に建ち、地上高さ1.5メートルであります。徳本上人は紀州の人であり、熱烈な念仏行者。東北南部から関東・中部・北陸・近畿・中国東部にかけて布教活動し、とくに日課念仏を強調した。近世後記に熱狂的な民衆の帰依を受けた。その独特な字体の筆跡による名号碑は各地に残っているが、本碑は上人が勝尾寺から丹波へ布教した道筋に当るものである。彼の名声はとくに江戸で高く、また紀州候の帰依も深かった。
牧役行者の石像
修験道の祖とされる役の小角は奈良時代に奈良県葛城山に住んでいて、仏教を修行し吉野の金峰山、大峰などを開きました。日本紀には彼が伊豆に流されたと言う記事を載せています。彼は呪術をもって評判が高く、そのためそしられまして遠流に処せられたと言うことですが、古来の山岳信仰界においてはそのゆえに彼の評判は高くなり役行者の名は広まりました。近世には各所で行者講がつくられ、牧の役行者像は同村の行者講によって祭られたものです。