●切畑西野多尊石仏 ●切畑大円下所多尊磨崖仏
●切畑法性寺地蔵石仏 ●切畑大円下所阿弥陀磨崖仏
●豊嶋安次郎の塚 ●貝川三位の墓
●切畑法性寺石風呂 ●切畑大円釈迦堂阿弥陀三尊笠塔婆
●切畑中の西多尊石仏 ●切畑大円釈迦堂宝篋印塔
●切畑大円下所地蔵石仏 ●切畑大円小松阿弥陀三尊摩崖仏
この石仏は頭部が山形で高さ59cmの石英閃緑岩で巾は約60cmの板状の石に18体の像が彫り出されています。そして上部に阿弥陀三尊の立像があり、その下に4、4、4、3体ずつ15体の坐像があります。又、左側の肩には天正三年八月三日と刻まれています。天正三年は1575年桃山時代で、この時は世の中の生活が苦しくてせめてあの世へ行ってからは極楽往生と祈願して建てられたものです。
この石仏は、石英閃緑岩でできており高さ133cm、最大幅79cmの自然石の表に大きく蓮華座を刻み、その上に高さ83cmの船形を彫りくぼめ、70cmの地蔵立像が彫られており、右手に柄の短い錫杖を持ち左手には宝珠を捧げ、衣紋は左右相称で、像容よくととのい写実的で蓮弁の形も丸く大きくふくらみ、典型的な鎌倉後期の形であります。
石風呂は石造の浴槽でありまして、使用目的は明らかではなく僧侶が斎戒のために使用したという説とか、人々が厄病除災のために入湯したとか、共同浴場のように使用したという説があります。花崗岩でできており、長さ2m巾130センチ深さ50センチで鎌倉時代に造られたと推定されています。
この地蔵は道下に埋まっていたのを掘り出されたもので、高さ180cmの細長い自然石の表に高さ85cmの舟形を彫り込み高さ71cmの地蔵立像が彫られています。像はスラリとした長身でしかもひきしまった感じでありなかなか好感がもてます。年代的には南北朝時代と見られます。
高さ2、5m巾3mの石英閃緑岩の自然石に刻まれて、三段の枠内に合計22体の円頂合掌の坐像と一体の阿弥陀立像及び一基の五輪塔が半肉彫りされています。最上段中央の舟形の中に高さ7cmの丁寧な二重蓮坐上に19cmの阿弥陀立像があり、その左右に二体ずつの坐像、その下の右側に4体の坐像があり最上には14体の坐像があります。
ここには採石場がありまして、石英閃緑岩の高さ1、9m巾2、3mの大きさの石の下方に、高さ7cm巾31cmの蓮華座の上に高さ33cmの舟形に25cmの坐像が彫られています。年代的には南北朝のころだと思われます。
12世紀の初めに藤原長乗、通称貝川三位長乗と言う人物が一族郎党36人をひきいて木代に住みつき、大円を拠点に木代、切畑を開いたといわれています。長乗は藤原鎌足から18代の子孫にあたる藤原乗政の三男として生まれ騎射にすぐれたということです。