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吉川の石仏

●吉川旧妙見山道の鳥居      ●吉川新妙見山道の町石
●吉川常夜燈           ●旧山下道道標
●吉川高代寺宝篋印塔
●吉川高代寺五輪塔
●吉川高代寺参道町石
●吉川高代寺参道六地蔵

ギャラリー

吉川旧妙見山道の鳥居

吉川旧妙見山道の鳥居

吉川の集落の中心部から能勢妙見宮までの旧参詣道は、25丁約2.7キロメートルの勾配のある山道であります。吉川の集落を後に、周囲約400メートルの上杉池の堤を過ぎますと大きな鳥居があり、ここから急な山道となります。左の柱の表には「大阪開眼講」、裏には施主伊勢屋利兵衛」、右の柱の表には「奉献」裏には「寛政歳舎癸丑仲夏吉辰、施主堺屋善蔵」と刻まれています。

吉川常夜燈

吉川常夜燈

能勢妙見宮への参拝道は、野間口村からのもの、吉川村からのもの、野間(現在の能勢町)からのものの3つがありました。吉川村からの参拝道は、南北に長い集落内を通ったので沿道には茶店、宿が並んでいて、夜間に往来する参拝人もあり、その便宜をはかり各所常夜燈がつくられました。

吉川高代寺宝篋印塔

吉川高代寺宝篋印塔

高代寺本堂への石段西側の墓地には、江戸時代の石塔が多く、この中に6基の宝篋印塔があります。享保元年(1716年)銘の宝篋印塔は塔の高さ143センチメートルで、下の基壇も含めると総高230センチメートルあります。塔の基礎北面に、宝篋印塔の功徳を称え、この塔を建立することによって現世安楽、後世浄土を祈る願願文を刻み、大阪の岸部屋利兵衛という方が建立されたとされています。

吉川高代寺五輪塔

吉川高代寺五輪塔

高代寺から川西市の横路に通じる小径を150メートルばかりいったところに、道の左上に五輪塔数基が並ぶ墓地があります。向って一番右側の高さ117.5センチメートルの五輪塔が最大で完全な姿をとどめています。花崗岩でできており、各輪の四方に梵字を刻む本格的な塔であります。

吉川高代寺参道町石

吉川高代寺参道町石

吉川の平井川に架かる山浦橋の南詰に1基の石が建っています。ここから始まる七宝山高代寺への旧参道の第1番の町石があります。ここから旧参道に沿って合計12基の町石が建てられたわけですが、高代寺入口の石段脇にあります第12番目の町石が高さ77cmのこの町石です。

       
吉川高代寺参道六地蔵

吉川高代寺参道六地蔵

高代寺旧参道の中程、六町石と七町石の中間に、白く風化した台形の石があり、像高33センチメートルの六地蔵が彫られています。

       
吉川新妙見山道の町石

吉川新妙見山道の町石

吉川を通る能勢妙見宮への参詣道は、上杉池の南を通って東へ急な坂道を登る旧参詣道とは別に、上杉池の西を北に進む新参詣道がひらかれました。この町石は、大正10年(1921)、新参詣道に建てられたものであります。高さ1.2メートルで目立つ町石であります。

       
旧山下道道標

旧山下道道標

明治中期まで、吉川村から池田・大阪に出るのには長尾街道(妙見道)と山下道が使われました。山下道は、村の中央を南北に通る長尾街道の玉屋橋上手から西南に進み、途中から高代寺参道と重なって西進し、「山ノ神池」の手前で同参道とわかれ、高代寺山の東山腹を西南に進み、笹部を経て山下(現川西市山下)に通じた。

吉川旧妙見山道の 鳥居
時代:江戸
年号: 寛政5年       
西暦: 1793       
吉川常夜燈
時代:江戸
年号: 嘉永6年    
西暦: 1853       
吉川高代寺宝篋印塔
時代: 江戸
年号: 享保元年・宝暦7年・文化12年 
西暦:1716 ・1757・1815       
吉川高代寺五輪塔
時代:南北朝
年号: 文和3年       
西暦: 1354       
吉川高代寺参道町石
時代:江戸
年号: 慶安3年      
西暦: 1650
吉川高代寺参道六地蔵
時代:江戸
年号: 慶安2年      
西暦:1649
吉川新妙見山道の町石
時代
年号:       
西暦
旧山下道道標
時代:江戸
年号:       
西暦