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高山の石仏

●高山マリアの墓
●高山高札場跡

ギャラリー

高山マリアの墓

高山マリアの墓

墓碑は四基からなり、一基が離れているのが印象的であります。墓碑には江戸時代中期の年号が刻まれ二組の夫婦の墓と伝えられています。マリアの墓の言い伝えは明らかではありませんが、江戸時代のキリシタン禁教後キリスト教徒はほとんど姿を消しましたが、村には二件が残りやがて転宗したと言われています。これが正しいとすれば、この二件の夫婦が墓碑の二組の夫婦とも考えられます。日本史によりますと右近の父の教名はダリオ、母はマリアであって晩年高山で聖女のように過ごしたと言うことです。

高山高札場跡

高山高札場跡

中世末期以降、領主が法度・掟書などを記し、人通りの多いところに掲げた板札を高札といい、その掲示板を高札場と呼びました。目的は庶民の間に法令を徹底させることにあり、高札は明治3年(1870)に廃止となり、高札場も姿を消しました。高山高札場は現在に伝わる数少ない遺構であり、昭和52年に改築され、のち五輪塔・小石仏・地蔵がまつられるようになりました。

高山マリアの墓
時代:江戸
年号:元文5年・延享3年
西暦:1740・1746