●木代たぬきやぶ多尊摩崖仏
●走落神社石燈籠
●大江山作平の墓
●木代三位塚の地蔵摩崖仏
●木代朝川寺地蔵石仏
●木代朝川寺無縫塔
木代界橋を山手に登った通称たぬき藪の雑草におおわれている旧道の道端にある高さ1.2メートル、巾4メートル近くの大きな自然石に二段にわたって十数体の石仏が彫られています。いわゆる摩崖仏で、中央舟型に阿弥陀像が彫られています。
走落神社は「延喜式」神名帳の島下郡17社のうちに記される式内社で、もとは切畑に鎮座したと伝えられれる。現在の鎮座地は、もと走落走落神社の相殿神であった天照大神を分祀して祭った小玉神社のあったところである。明治40年の神社合祀にさいし、当時の東能勢村内10社祭神をここに合祀し、由緒ある走落神社の社号を復活した。「大婦天皇御宝前」「正徳元号九月吉日」と刻まれているこの燈籠は、合祀前の東能勢村10社のうち、余野にあった天武天皇宮から移されたものである。天武天皇宮は、柏尾宮、大武天皇宮とも呼ばれていたので、大武を大婦の字にあてて表わしたものと推定される。正徳元年(1711)は江戸時代中期である。